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与謝蕪村の母について

谷口げんの墓(字与謝)

谷口げんの墓(字与謝)

 与謝蕪村が丹後で作った有名な俳句「夏河を越すうれしさよ手に草履」は、蕪村自身の母親への憧憬の念が込められている、としばし解釈されます。
 自らの出自を生涯明らかにしなかった蕪村。その母が与謝村の人である可能性については、古くは俳人の河東碧梧桐が『画人蕪村』(大正15年)で紹介しています。ここで母親の名については不明となっていますが、地域の伝承では、いつの頃からか「谷口げん」という名で伝えられています。彼女は蕪村が13歳のとき、わずか32歳の若さで亡くなったといいます。
 この谷口げんが眠ると言われるお墓が、与謝野町字与謝に現在も残っています。
 すっかり摩滅してしまった墓碑銘には「月堂妙覚禅定尼」と刻まれており、日差しの加減によっては現在も時折その文字を読むことができます。
 そして、古くから多くの俳人や蕪村研究家たちが全国各地から墓参に訪れ、今日に至るまで大切に守られています。
 例えば昭和33年冬にこの墓を訪れた俳人・高野素十は次のような俳句を残しました。

  柿の村蕪村の母の墓ありと   素十

 また、墓所を管理されている谷口家に残る膨大な芳名録には、水上勉をはじめ著名な文学者の名も見ることができます。
 三年あまりの丹後滞在を終え、京都に戻った後の宝暦10年(1760年)頃から、蕪村はそれまでの「谷口」姓から、「与謝」姓を用いるようになりました。
 母親の面影残るこの地に、蕪村は特別な思いがあったのかも知れません。

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